国が言うから間違いなかっペ!という時代は過去の話…
今は情報化社会でいろいろな情報が入ってきます。
また、今まで分断されていた業界や業種も、いろいろ繋がってきました。
そして、一般消費者という意味も変わってきています。
一般消費者というのは昔は「一般の主婦」と想定されていましたが、今では各種専門家でもありますので、昔のような誤魔化しも押しつけもできない時代となってきました。

「農薬は安全である!」は、どうして通用しなくなったのか?

まずはここから見ていかないと、いつまで経っても「消費者は農薬のことを何も知らないから利権や政治家にそそのかされているんだ!」という存在しない敵と戦うことになります。

では、私が会員に向けたセミナーで話したことを書いてみます。
話したっけ?
まあ、いいや!簡単にわかりやすく「農薬を正しく怖れましょう」という題材にして書いてみますね!

農薬は安全なのか危険なのか?

「農薬成分は危険だけど、安全に使うことで安全となる!」
これは私がずっと言っていることです。

×農薬成分は安全です
○農薬成分は危険です

一般消費者を勘違いさせると言われますが、こういうのは農薬に限ったことではありません。

■自動車運転は危険です
■医薬品は危険です
■ガソリンは危険です
■ハサミは危険です
…世の中、危険というのはいっぱいあります。

危険なモノには安全基準が設けられている

危険であるとするもにのは「安全基準」が設けられています。
この安全基準というのは、守れば絶対に安全というモノではありません。これを勘違いしている人が多いですね。

「許容可能なまでにリスクを低減するための規制基準」

許容可能なまでにリスクを軽減するための基準が安全基準です。
そして、許容できないリスクが無いことを安全と言います。

これを農薬の安全基準である農薬残留基準値に当てはめます。

安全基準の農薬残留基準値内であれば安全であると設定する!

ただし、これには前提があります。

■危険がゼロである絶対安全は存在しないこと
■化学物質、化学品には未知の有害性、未知のリスクがあり得ること

これで言い換えますと…

農薬が絶対に安全であると言うことはあり得ない、農薬は未知の有害性、未知のリスクがあり得るが、安全基準や規則を守れば許容できないリスク、危険性、有害性は無いこととする。
ただし、常に検証を続け、未知の有害性、未知のリスクに素早く対処することとする。

安全基準というのは絶対的な存在ではありません。常に見直され変わっていくモノです。

こういうのは自動車運転に例えるとわかりやすいですよね。
時速50キロ制限の道路を50キロ以内で走っていれば安全運転です。
でも、50キロで走っていれば絶対に安全なわけではありません。自動車運転は危険なわけです。
だから、基準や規則を守り、モラルや思いやりを持って安全性を高めていきます。

生き物は本能で危険を察知する能力を持つ!

今回の大元の話はこれです(*^▽^*)
人間には高い危機回避能力があります。まあ、個人差は大きいですけどね。

私たちが社会で生きていくということは、常に危険かどうかを意識しています。
たとえば、Twitterですが…
Twitterを利用するときは皆さんはちゃんと個人や家族などを守って利用していますよね。
不特定多数が交わるSNSの場合は、個人や家族が未知の有害性、未知のリスクを受ける可能性があり得ます。
だからいろいろ防衛手段を持ってやってますよね。私ですらプライベートはまったく出していなくて「うりゃ」というキャラクターを演じてやっています(*^▽^*)
店は商売だから出しても家族は一切出さない!
皆さんも、ガーデナーとしては出てくるけど家族など出すことはありませんよね。「主人があ!」とか「子供があ!」ぐらいの話だけなら大丈夫ですけど。

農薬も同じで、私たちは農薬に対しては危険をまず察知します。当たり前ですよね(*^▽^*)
そして、いろいろな情報を見ます。
農薬は安全だあ危険だあと、やあやあ言われています。

ここで危機回避能力はどう判断するのか?

そんなもん、人それぞれです(*^▽^*)

ただね、危機回避能力というのは自分の大事なモノ愛すべきモノ弱きモノが基準になります。
そういう人たちを思う心が基準を作ります。これをわかりやすく安心基準と呼びます。

安全基準と安心基準は別モノなのです!

基準だからコロコロ変わるのです!

農薬の安全基準はコロコロ変わるでしょ?
これはね、より安全を求めているから基準がコロコロ変わります。
今まで安全とされていたモノが急に危険だとされることも多いですよね。未知の有害性、未知のリスクはまだまだ潜んでいます。

でもね、これを言いだしたらキリが無い!
絶対の安全は存在しないのに、絶対を求めたら社会が成立しなくなります。

一方、安心基準は…そりゃもう、コロッコロ変わります。
「農薬が危険だ?バカじゃねえか?」と悪態付いていた人が、孫が生まれた途端…
良くある話です。
私も実際にそうですね。自分が食べる分は美味しければ何も気にしないけど、孫となると…特注ですよ(*^▽^*)
批判されようが自分勝手だと言われようが、孫には未知の有害性、未知のリスクなど許すはずがありません(`Д´)

こういうのはみんなそうだと思いますよ。
農家の奥さんが農薬で健康を害したから旦那が無農薬するようになった話なんてのは普通に聴く話です。

安全基準も時で変われば、安心基準もコロコロ変わる!これが事実です。

農薬を正しく怖れるには…

「怖れる」ということは人の心ですから安心基準になります。
安心の反対は不安とか心配ですよね?じゃあ、尽きないですね(*^▽^*)

農薬残留基準値内だと安全であると設定されていますが、じゃあそれは不安や心配ではないかと言えば…
安心基準が発動しますよね!

大事なのは、事実を見ることと選択すること

たとえば…
■森の中で散歩していると熊に出会って食べられた
■森の中で散歩していると熊に出会って一緒に踊った

どちらが事実なのかを見ます。
食べられたのなら、確定された危険です。
でも、一緒に踊ったのなら安全なのかというと…もしかしたら踊りが終われば食べられちゃうかもしれませんよね。
話がややこしくなっちゃった…

農薬の場合、冷静に見てみると農薬の毒性は急性症状と慢性症状に分けられています。
これ、化学物質はほぼそうですよね。
急性症状というのは食の安全に関してはアレルギーや化学物質過敏症の方以外は起こりません。
ただ、食の安全に関しては慢性症状としての不安や心配があります。
多くの健康被害(急性症状)は農薬曝露で起こっています。また、慢性症状も報告されています。

こう考えた場合…
食の安全に関しては、安全基準を遵守していれば安全と設定しているが安心基準では不安は残るとなります。
農薬曝露に関しては、安全基準を遵守しなければ危険だと断言できます。

これを危機回避能力で選択していきます。
急性症状が無いのなら大人は食べても問題ないけど、子供たちは不安だな…
農薬曝露は絶対に許してはいけない!

こういう風に考えていけば良いですね!

後は個人の選択です!

絶対に安全はあり得ない、未知の有害性、未知のリスクがあり得るのが農薬です。
これを「農薬残留基準値」という基準で安全基準としています。
ただ、これは流通側つまりは作物を売る側に課せられた安全基準です。消費者が従う安全基準ではありません。

私は皆さんには「農薬を使った作物も安全です。でも、農薬曝露はとても危険です」と話していますよね。
でも、農薬を使った作物は安全という言葉を信じなくてもけっこうです。
人それぞれ安全基準は持てば良いですし、安心基準はそれこそまったく違ってきます。

私は個人が農薬否定することに異議や批判をすることはありません。
なぜなら、それは人の心だからです。

農薬が危険だ!に何も言わないけど、農薬は安全だ!は否定する…そういうことです。

ネオニコチノイド系殺虫剤はどうすれば?

何かと話題のネオニコチノイド系殺虫剤ですが…
農水省は「コロナで検証が遅れちゃったんですう!」と言っています。
つまり、危険だとして安全基準を見直すか使用禁止とするか、それとも今まで通りとするか検証中ということです。

じゃあ、これに対して消費者はどうすればいいんだ?答えが出るまでどうすれば?もし毒性が強いとなったらどうしてしてくれるんだ?

皆さんはどうしますか?

これはね、答えなんて無いんです。
気にしないか、割り切るか、避けるか…これは個人の判断になります。

どういう作物にネオニコチノイド系殺虫剤が使われているか?はここでは書きませんが、問い合わせてもらえばお答えします。
でも、どうするかは個人の選択です。

品質管理表を提示している作物を買おう!

何度も農薬散布された作物、減農薬を頑張って仕方なく1回散布しちゃった作物…
安心基準だと後者を選びたいですよね!

こういうのを消費者が目で見てわかる仕組みがあれば!という提案に消費者の方々やオーガニック側から賛同をもらっています。
私はオーガニック側ですが、無理して有機栽培や無農薬化までする必要はないと考えています。
そのためにも、情報をオープンにしちゃえば良い!

同じ品質で同じ価格であれば、次は農薬散布回数などが消費者の選択材料になりますよね。それが良いんじゃないかな?
というところに行き着きましたが…

これはすでに提案中です(*^▽^*)

JAはすでにやらなんやら…それぐらい知ってるわ(`Д´)